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萩市立育英小学校は、萩市須佐にある学校である。 北に須佐湾を望み、古くから港町として栄えた地域である。 現在の学校名は、須佐にあった益田氏の郷校であった育英館からいただいたものである。 |
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育英館とは、享保年間27代領主益田元道が、品川希明という方に家臣の師弟に文武の道を講じたことに端を発する。 33代益田親施は累世の志を継ぎ、益田兼済を育英館都合役として学制を改革し、学舎を増築して小国武尋を学頭とした。 |
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育英館の学制の変革は幾度もあったが、もっとも整備されたのは、嘉永5年正月以後である。松下村塾とも密接な関係を保ち、 互いに塾生を交換してその学風精神を伝えた。 親施が徳山に没し小国武尋が去った後、益田精祥は山口明倫館教授坂上忠介を迎え、校舎を拡張し庶民の師弟も受け入れた。 |
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明治5年8月学制が頒布されると、翌6年益田氏は育英館構内の日進堂と敷地三畝余歩を村の公有、山林十数町歩を校資とするよう寄進し、 坂上氏が続いて教育に当たった。 坂上忠介が初代校長であり、今もグランドには育英館の門が残されている。 |