校内の史跡 本文へジャンプ

明倫小学校本館
(めいりんしょうがっこうほんかん)


  本校の校舎は昭和10年10月10日午前10時に竣工式(しゅんこうしき)が行われました。現在でも当時の校舎を大切に使っています。
 中でも、事務室、校長室、保健室、音楽室などのある本館は、国の登録有形文化財(とうろくぶんかざい)第1号に指定されています。
観徳門 (かんとくもん)


  藩校時代(はんこうじだい)の聖廟(せいびょう)(学問(がくもん)の神として孔子(こうし)という人をまつっていたところ)の中門です。学校の南東の入り口にあります。
吉田松陰先生講学之跡
(よしだしょういんせんせいこうがくのあと)


 この碑(ひ)は、松陰先生が江戸で処刑(しょけい)されてから、ちょうど100年目の昭和33年にたてられました。
  
中村雪樹先生之碑
  (なかむらゆききせんせいのひ)


  この石碑(せきひ)は初代校長(しょだいこうちょう)中村雪樹先生(なかむらゆききせんせい)の幸徳(こうとく)を感謝(かんしゃ)し、大正11年10月にたてられました。
水練池 (すいれんいけ)

 昔、ここで遊泳術(ゆうえいじゅつ)や水中騎馬(すいちゅうきば)の練習(れんしゅう)をしていました。同じものは、日本ではここにしか残っていません。
聖賢堂 (せいけんどう)
 明倫館(めいりんかん)の中心にあった聖廟(せいびょう)の中門の観徳門(かんとくもん)の東西に東塾(とうじゅく)と西塾(せいじゅく)とよばれる小さな建物(お祭りをするときのお供え物の用意をする部屋(へや)や、お祭りをする人の控所(ひかえしょ)に使われていた)がありました。その二つを合わせて一棟(ひとむね)とし、聖賢堂(せいけんどう)という名前がつけられました。

明倫館碑

 この石碑(せきひ)には、明倫館を建てた理由や、勉強のめあてなどが書かれています。
 左側の石碑(せきひ)には、明倫館が享保(きょうほう)3年(1718年)に萩城(はぎじょう)の敷地内(しきちない)に建てられたときのことが書いてあります。元文(げんぶん)6年(1741年)に建てられたので、「元文碑」(げんぶんひ)とよばれています。
 右側の石碑には、嘉永(かえい)2年(1849年)に現在の位置に建てかえられたときのことが書いてあります。「嘉永重建碑」(かえいじゅうけんひ)とよばれています。

木主 (もくしゅ)

 明倫館(めいりんかん)では、儒教(じゅきょう) (中国の孔子こうしの教え)を学んでいました。その孔子(こうし)と弟子(でし)の顔回(がんかい)、曽子(そうし)、子思(しし)、孟子(もうし)の5人の木主(もくしゅ)(位牌いはい)を聖廟(せいびょう)に安置(あんち)して大切にしていました。仏教(ぶっきょう)の位牌(いはい)にあたるものを儒教(じゅきょう)では木主(もくしゅ)と言います。

有備館 (ゆうびかん)

 昔むかし、明倫館(めいりんかん)で剣(けん)や槍(やり)の練習(れんしゅう)をした建物(たてもの)です。左が剣の練習場、右が槍の練習場です。真ん中には、藩主(はんしゅ)(殿様とのさま)が来られた時の控所(ひかえしょ)もあります。江戸(えど)の藩邸内(はんていない)にあった文武講習所(ぶんぶこうしゅうしょ)の名前をとって、「有備館」(ゆうびかん)と名づけられました。

旧萩藩校明倫館南門
(きゅうはぎはんこうめいりんかんなんもん)


 明倫館の時代にあった門が、当時の場所に移築されました。平成17年度に移築工事が終了しました。
 卒業式では、卒業生がこの門をくぐって巣立っていきます。